【2008年10月26日(日)付】
負け惜しみに類するのだろうか、川柳だか俗言だかに〈賞味するほど初物に味はなし〉とある。走りの食べ物は値段は張るけれど、まだ本当の味には遠いという意味だ。とはいえ、やはり初ものはありがたく「食べれば75日寿命がのびる」などと尊ばれた▼〈ご隠居の初物ごとにいとま乞(ごい)〉と、これは江戸の川柳にある。折々の初ものを食べるたびに、「ああ、これでもう思い残すことはない」と、この世に「いとまごい」をする。拝むような姿が浮かんで、おかしみが湧(わ)く▼そんな季節感が食卓から薄れて久しいが、秋の実りは別格だ。出始めの「走り」から、たけなわの「旬」、終わりが近づけば「名残」へと、順次繰り出す多彩な恵みに舌も胃袋も忙しい。この秋は、果物がなかなかの豊作と聞いた▼〈秋になると/果物はなにもかも忘れてしまつて/うつとりと実のつてゆくらしい〉。これで全文の「果物」という詩は、今日が命日の八木重吉が残した。秋という季節を美しくうたい上げた夭折(ようせつ)の詩人である▼うっとり夢見つつ熟れていく果物を、もいで食べる。清らかな詩を知ったあとは、当たり前の営みさえ何か罪の匂(にお)いがする。ありがたさを忘れたら罰(ばち)が当たりそうだ。詩句に導かれて、人は生かされているという思いに突き当たる▼重吉の秋の名詩をもうひとつ。〈この明るさのなかへ/ひとつの素朴な琴をおけば/秋の美くしさに耐えかね/琴はしずかに鳴りいだすだろう〉(「素朴な琴」)。季節をめぐらす天地自然への深い畏敬(いけい)が、澄んだ言葉にこもっている。
【天声人語2008年10月26日 秋季孕育的时令水果】
▼負け惜しみに類するのだろうか、川柳だか俗言だかに〈賞味するほど初物に味はなし〉とある。走りの食べ物は値段は張るけれど、まだ本当の味には遠いという意味だ。とはいえ、やはり初ものはありがたく「食べれば75日寿命がのびる」などと尊ばれた
或许在不服输这一点上两方属于同一类型吧,无论川柳还是俗语,其中都有关于“品味时令食品的话题”。时令食品刚上市时价格也随之水涨船高,而此时水果的味道距离它最美味的时候还有一段距离。但时令水果还是像俗话“每日食用寿命可延长75日”中说的那样被百姓所推崇。
•負け惜しみ:不服输bù fúshū,不认输rènshū,嘴强zuǐ qiáng,嘴硬yìng.
負け惜しみの返事/强嘴的回答; 不服输的回答.
負け惜しみの強い人/硬不┏认〔服〕输的人.
負け惜しみを言うな/别说硬话; 别不服输.
•類する:类似lèisì,相似xiāngsì.
これに類する品物/与此yǔcǐ┏类似〔相似〕的东西.
これに類する事件がまた発生するかもしれない/也许还会发生类似的事件:
▼〈ご隠居の初物ごとにいとま乞(ごい)〉と、これは江戸の川柳にある。折々の初ものを食べるたびに、「ああ、これでもう思い残すことはない」と、この世に「いとまごい」をする。拝むような姿が浮かんで、おかしみが湧(わ)く
江沪时期一首川柳中这样写道<每逢收到隔壁人送来的时令水果就有种死也值得之感〉。而每当吃到时令水果时脑中不禁浮现这样的想法“啊,品此美味此生足矣”,宛如与人世间的是是非非长辞一般。趣哉!
告辞gàocí,辞别cíbié.
お暇乞いをする/辞行.
お暇乞いに行く/去辞行.⇒いとま
▼そんな季節感が食卓から薄れて久しいが、秋の実りは別格だ。出始めの「走り」から、たけなわの「旬」、終わりが近づけば「名残」へと、順次繰り出す多彩な恵みに舌も胃袋も忙しい。この秋は、果物がなかなかの豊作と聞いた
虽然这样的季节感停留在餐桌上的时间很短暂。但人们对秋之果实总有着特殊的感情。从秋季到来的“前奏”,到高潮时期的“旺季”,再到接近终点时的“惜别”,大自然这种丰富多彩的恩惠令人们的口腹忙得不亦乐乎。另外据说今秋水果收成非常好,可谓“丰收年”。
•別格:破格待遇pògé dàiyù;特别tèbié(处理).
別格の登用/特别录用.
別格の扱いを受ける/受到特殊tèshū待遇.
•たけなわ:[宴などが]酣hān;[最高潮]高潮gāocháo,旺盛wàngshèng.
宴会もたけなわとなる/宴会也进入高潮.
春もたけなわとなる/春色已浓.
齢(よわい)たけなわなり/年纪已过中年.
▼〈秋になると/果物はなにもかも忘れてしまつて/うつとりと実のつてゆくらしい〉。これで全文の「果物」という詩は、今日が命日の八木重吉が残した。秋という季節を美しくうたい上げた夭折(ようせつ)の詩人である
“每逢秋日到来,水果似乎将一切抛在脑后一般,在生长中陶醉”这首名为《水果》的诗,是诗人八木重吉留下的,而今日正好是他的忌日。而他也是一位喜爱歌颂秋季之美却英年早逝的一位诗人。
•なにもかも:什么都shénme dōu……,一切yīqiè,全部quánbù.
何も彼も承知した/一切都知道了.
何も彼も白状した/全都供gòng出来了.
何も彼も混乱している/乱得一团糟zāo.
何も彼もうまくゆかぬ/诸事zhūshì不顺;什么都不顺利.
何も彼もうまくゆく/万事如意;一切都顺利.
何も彼も忘れて仕事に没頭する/忘掉一切埋头工作.
•うっとり:发呆fādāi,出神chūshén;入迷rùmí,陶醉táozuì;[魂がぬける]消魂xiāohún.
うっとりと思い出にひたっている/陶醉在回忆中.
その雄大な風景にうっとりとみとれていた/那壮丽zhuànglì的风景使人看得入迷.
その絶妙な調べにうっとりした/为那种绝妙juémiào的曲调qǔdiào而心荡神驰
▼うっとり夢見つつ熟れていく果物を、もいで食べる。清らかな詩を知ったあとは、当たり前の営みさえ何か罪の匂(にお)いがする。ありがたさを忘れたら罰(ばち)が当たりそうだ。詩句に導かれて、人は生かされているという思いに突き当たる
我们经常将这种在沉醉下渐渐生长出的水果放入碗里细细品尝。而知道了这样的诗句之后,我心中不禁觉得就连现在品尝水果这件事似乎也是一种罪过。似乎如果忘记感恩则会遭到上天惩罚般。受此诗引导,人们心中不禁联想到应该让水果继续生长下去(而不应该现在立刻吃掉它)
1.もい【水】
《椀(もい)に入れるものの意から》飲み水。飲料水。 「淡道島の寒泉(しみづ)をくみて、大御―献(たてまつ)りき」〈記・下〉
2椀
水や酒を盛る器。鋺(まり)。わん。 「一尺三寸ばかりのわたきの―に」〈宇津保・あて宮〉
▼重吉の秋の名詩をもうひとつ。〈この明るさのなかへ/ひとつの素朴な琴をおけば/秋の美くしさに耐えかね/琴はしずかに鳴
りいだすだろう〉(「素朴な琴」)。季節をめぐらす天地自然への深い畏敬(いけい)が、澄んだ言葉にこもっている。
重吉还有一首关于歌颂秋天的诗句是“在这明亮的背景下,如若放上一只琴,或许会使秋之美更耐人观赏。这只琴仿佛静静的合着秋日奏响美妙的旋律”([朴素的琴])。这清澈透明的语言中蕴含着的,无疑是对创造四季循环的天地自然的无限敬畏之情。