【2008年11月11日(火)付】
芭蕉門下の俳人だった越智越人(おち・えつじん)に〈行年(ゆくとし)や親にしらがをかくしけり〉がある。わが子の髪に白いものが交じってきたと気づいたら、親は心細さに駆られよう。だから隠す。篤実な親思いの句と見たが、違っているだろうか。▼誰が言ったか、「父母存するうちは老いを称せず」という教えも記憶する。親が生きているうちは、自分が老いたとは口にしない。古風な孝行の心構えだろう。だが昨今は、親を世話する子による虐待の悲劇が後を絶たない。▼誰が言ったか、「父母存するうちは老いを称せず」という教えも記憶する。親が生きているうちは、自分が老いたとは口にしない。古風な孝行の心構えだろう。だが昨今は、親を世話する子による虐待の悲劇が後を絶たない。▼厚生労働省によれば、昨年度に家庭内で起きた高齢者の虐待は1万3千件を超えていた。被害者の7割は介護の必要な人だった。加害者の4割強は息子で、今回も一番多い。衣食住の心得が乏しいからか、どうしても男はストレスをためやすいようだ。▼親の寿命が延びれば、子も老いの坂にかかりだす。白髪を隠し、弱気を封じての親孝行は、長持ちはすまい。同居する独身の子による「シングル介護」も増えていると聞く。身内の「頑張り」に多くを担わせる介護は、もろくて壊れやすい▼きょうは「介護の日」だそうだ。日付の11の重なりを、厚労省が「いい日、いい日」と語呂合わせした。センスはともかく、大臣は母親の介護を体験した舛添氏だ。支え合いを進める力になる、実のある一日に期待したい▼60歳代の半ばから母と夫を同時に介護した歌人の斎藤史(ふみ)は、ぎりぎりの思いを数々の歌に託した。〈起き出(い)でて夜の便器を洗ふなり 水冷えて人の恥を流せよ〉。介護に疲れた人を、孤立感という荒野に迷わせてはならない。
【天声人語2008年11月11日 老人看护日】
▼芭蕉門下の俳人だった越智越人(おち・えつじん)に〈行年(ゆくとし)や親にしらがをかくしけり〉がある。わが子の髪に白いものが交じってきたと気づいたら、親は心細さに駆られよう。だから隠す。篤実な親思いの句と見たが、違っているだろうか
芭蕉门下的俳人越智越人曾作过这样一首俳句〈儿掩白发送双亲〉。如果让家长临终前看到自己孩子头发中夹杂着白色,那么他们一定不会安心上路。因此要将起遮盖。虽然也看过这样单纯思念父母的俳句,但事实上却并非如此吧。
被驱使
〈下〉 心をおさえきれない.嫉妬(しっと)に~享年xiǎngnián.
1987年没,行年98歳/一九八七年殁mò,享年九十八岁.
▼誰が言ったか、「父母存するうちは老いを称せず」という教えも記憶する。親が生きているうちは、自分が老いたとは口にしない。古風な孝行の心構えだろう。だが昨今は、親を世話する子による虐待の悲劇が後を絶たない
记得有人曾教导我们“父母尚在不言老”。也就是说只要父母还活着就不要说自己老了。这算是自古以来的尽孝方式吧。而现如今,儿子虐待老人的悲剧毫无偃旗息鼓之势。
思想准备sīxiǎng zhǔnbèi;精神jīngshén准备.
十分に心構えをする/做充分的思想准备.
万一の心構えをする/做好思想准备以防万一.
まだ心構えができていなかった/还没做好思想准备.
▼厚生労働省によれば、昨年度に家庭内で起きた高齢者の虐待は1万3千件を超えていた。被害者の7割は介護の必要な人だった。加害者の4割強は息子で、今回も一番多い。衣食住の心得が乏しいからか、どうしても男はストレスをためやすいようだ
经厚生劳动省调查,去年家庭内部产生的虐待老人事件已超过了1万三千起。其中身体不便需要照顾的老人占了七成。施虐者是儿子的案子超过4成,为以往统计中最多。(他们虐待老人)是因为缺乏生活经验吗?这些男人这么做似乎是因为他们心中容易堆积压力。
(1)〔技術の〕知识zhīshi;经验jīngyàn;心得xīndé;[体得]体会tǐhuì.
医師の心得がある/有医术知识.
茶道には心得がない/对于茶道是外行wàiháng.
ピアノにはいささか心得がある/对于钢琴稍微shāowēi懂得一点.
礼儀の心得がない/不懂礼貌lǐmào.
(2)〔規則〕须知xūzhī,规章制度guīzhāng zhìdù,注意事项zhùyì shìxiàng.
生徒心得/学生须知.
執務心得/办公规则.
受験の心得/应试yìngshì须知.
入園者の心得を守りましょう/要遵守zūnshǒu游园人须知.
夏休みの心得を話す/说明暑假中的注意事项.
(3)〔代理〕代理dàilǐ,暂代zàndài.
校長心得/代理校长.
課長心得/代理科长.
▼親の寿命が延びれば、子も老いの坂にかかりだす。白髪を隠し、弱気を封じての親孝行は、長持ちはすまい。同居する独身の子による「シングル介護」も増えていると聞く。身内の「頑張り」に多くを担わせる介護は、もろくて壊れやすい
父母年龄日渐增长的同时,照顾他们的孩子也日渐奔向老年。因此这种掩白发,掩藏内心脆弱的这种孝顺不会维持得太久。听说最近独身的儿子照顾父母的“光棍儿看护”现象在增加。其实这种让亲人承担了太多“努力”的照看方式脆弱且不可靠。
1.おいのさか【老いの坂】
次第に年をとることを、坂道を上るのにたとえた語。
(1)[単一の]单一dānyī,单个dāngè;[ひとり用の]单人dānrén,单人用dānrényòng,单式dānshì.
シングル・ベッド/单人床.
(2)〔布幅〕单幅dānfú.
(3)〔洋服〕单排扣(西服)dānpáikòu(xīfú).
(4)〔独身〕单身汉dānshēnhàn.
▼きょうは「介護の日」だそうだ。日付の11の重なりを、厚労省が「いい日、いい日」と語呂合わせした。センスはともかく、大臣は母親の介護を体験した舛添氏だ。支え合いを進める力になる、実のある一日に期待したい
据说今天是“老人看护日”,厚生劳动省表示之所以选在今天是因为今天正好是两个11重合,听起来与“好日子,好日子”合辙。姑且不论感觉如何,有过照顾父母经验的舛添大臣定下这一纪念日的目的是希望借此带给(看护者)支撑的力量,并希望(大家能够身体力行)让这一天有更实际的意义。
·語呂] 【ごろ】 【goro】语感yǔgǎn;[押韻]辙口zhékǒu.
語呂が良い/语感很好; 说起来很顺口; 上口.
語呂を合わせる/合辙.
語呂の良いスローガン/顺口的口号.
▼60歳代の半ばから母と夫を同時に介護した歌人の斎藤史(ふみ)は、ぎりぎりの思いを数々の歌に託した。〈起き出(い)でて夜の便器を洗ふなり 水冷えて人の恥を流せよ〉。介護に疲れた人を、孤立感という荒野に迷わせてはならない。
65岁起同时照顾母亲和丈夫的歌人斎藤史,曾多次通过无数的诗歌抒发自己已到极限的想法。其中有这样一句“起床倒夜壶,倒尽人间耻与愁”因此决不能疲于照顾老人的人们存有荒野迷路般的孤立感。
解说:7月27日、厚生労働大臣は、都内で開かれた「福祉人材フォーラム」(厚生労働省・全国社会福祉協議会共催)で、11月11日を「介護の日」に定めることを公表した。語呂合わせで『いい日いい日』という意味合いがあるらしい。公表に先立って日にちや名称に関する意見を国民に求めた際には、「介護の日」の目的を「介護についての理解と認識を深め、介護従事者、介護サービス利用者及び介護家族を支援するとともに、利用者、家族、介護従事者、それらを取り巻く地域社会の交流促進を図る観点から、高齢者や障害者等に対する介護に関する普及啓発を行うこと」とし、舛添大臣自ら「介護に携わる人たちが生き生きと、社会から尊敬されて仕事ができるように」と説明した。あえてこの時期に打ち出してきたのは、先行きの見えない医療・介護の問題を国民レベルで認識し、改めてその深刻さを受け止めて欲しいという意図が見え隠れしているようにも思える。
「介護の日」は、休日になるわけではないので、関心のあるなしに関わらず、直接大きな影響があることはなさそうだ。しかし、この件に関するアンケート結果やネットへの書き込みをみると、介護の現場にいる実践者ほど否定的な意見が多いことに気がつく。「小手先の思いつき」「机の上だけでものを考えている」「記念日よりも処遇改善が先」などなど当事者の声は手厳しい。何よりも、「介護」を特別扱いすることへの反感が強いようで、感謝するとか、されるとか、尊敬や敬意を持たれるということよりも、周囲の人が高齢者介護を生活の中で当たり前に受け止め、高齢者の尊厳をともに支えあう関係でいることの大切さを訴えているようにも感じられる。確かに、この「介護の日」を敬老の日や勤労感謝の日と同じように、単なる感謝の日にしてしまっては、当事者まかせ、専門職まかせの感がますます強くなり、国民レベルで介護を考える機会にするのは難しい。
「介護の日」に意義を見出すとすれば、「介護への理解」を介護者の負担感だけで捉えてしまわずに、大勢の人間が関心を持つことで何が変えられるかのメッセージをしっかりと持ち、それを伝えていくことだろう。我々がこれまで持っていた「介護」のイメージは、家族・介護者の心身の負担感であり、終わりの見えない介護の日々での疲労困憊した姿や、孤立感、閉鎖感といった負の印象が強い。それは、在宅の家族介護であろうと、施設等の専門職による介護であろうと、介護は当事者だけの問題として、特別の場所で『面倒をみる』という認識が強いからだ。『地域社会の交流促進を図る観点から』の意味は、従来、閉鎖された自宅や施設の中で行われてきた介護を地域で支えてくしくみに展開していくという意味を含んでいる。介護保険制度施行以来、市町村自治体が担う役割はますます重要になり、地域包括ケアや地域密着型サービスの普及など、介護の現場は地域単位で動き始めている。さらに、個々の介護事業者の活動も、地域資源や地域住民との関わりを重視しながら、高齢者の暮らしに地域の力を活かす方法を模索し始めている。たとえ家族に要介護者がいなくとも、直接的な身体ケアに携わる人でなくとも、地域住人として、社会の一員として、高齢者を支えていく1人だという意識を持つことが求められている。