【2008年11月26日(水)付】

〈堪忍のなる堪忍は誰もするならぬ堪忍するが堪忍〉は、人生訓をうたう道歌(どうか)の中でもよく知られている。その教えが昨今はあやうい。誰もするはずの堪忍さえできず、ささいなことで堪忍袋の緒を切らす人が、世代を問わずに増えている▼当節は「キレる」と表記される。本紙の記事には17年前に初登場し、10年前から急に増えた。キレる人が増えたから言葉が広まるのか。言葉が広まってキレる人を誘発するのか。いらだつ空気は世を覆って、募るばかりに感じられる▼そんな社会から、学び舎(や)だけが例外とはいかないらしい。「子どもの暴力」に手を焼く学校の実情が、文部科学省の調べで浮かび上がった。感情を抑えられずに暴発する子が、こちらも増えている▼机を投げる(小学校)、はさみで同級生の背中を刺す(同)、すれ違いざまに肩がぶつかってけんかになる(中学校)……。いらだちというガスに、他人への非寛容が導火線になって火がつくことが多いようだ▼先日の本紙で、歌人の俵万智さんが、電車内で耳にした会話を語っていた。誰かとメールのやり取りでトラブルがあったらしく、「そのときばかりは頭に来て、面と向かって電話したよ」と言っていたそうだ▼電話では「面と向かった」ことにはなるまい。なのにそう思うほど、メールや仮想空間の浸透で、友達同士が話さずに付き合う世界が広がりつつあるのだろう。そうした中で自意識ばかり肥大すれば、寛容はますます失われないか。堪忍袋の緒が細った社会は、子どもにも大人にも生きづらい。

【天声人語2008年11月26日 在当今社会学会忍耐】

▼〈堪忍のなる堪忍は誰もするならぬ堪忍するが堪忍〉は、人生訓をうたう道歌(どうか)の中でもよく知られている。その教えが昨今はあやうい。誰もするはずの堪忍さえできず、ささいなことで堪忍袋の緒を切らす人が、世代を問わずに増えている
我们都知道这样一句人生道理〈能忍则忍不能忍也要忍〉。而他的教义近来已变得十分危险。在每个时代,无法忍耐任何事情,动辄为一点小事大动干戈的人正持续增加。
堪忍の袋は常に胸にかけ破れたら縫え破れたら縫え(かんにんのふくろはつねにむねにかけやぶれたらぬえやぶれたらぬえ):【意味】徳川家康が言ったという教訓。世の中理不尽なことだらけであるから、いつも我慢・辛抱を心得ておくことが大事。堪忍袋が破れたら、その都度辛抱強く縫い直すのである。決してキレてはいけない。(講談・神崎与五郎、村松喜兵衛、忠僕直助、落語・天災)(参照)→あの人を弁慶よりも強いとは堪忍強き人をいうなり、堪忍のなる堪忍は誰もするならぬ堪忍するが堪忍
▼当節は「キレる」と表記される。本紙の記事には17年前に初登場し、10年前から急に増えた。キレる人が増えたから言葉が広まるのか。言葉が広まってキレる人を誘発するのか。いらだつ空気は世を覆って、募るばかりに感じられる
现在我们来关注一下“烦躁”这个词。这个词早在17年前首次在本报的新闻中出现, 10年前开始以惊人的速度剧增。究竟是因为这种易烦躁增加导致了这个词的扩大呢。还是因为这个词的扩大而诱发了这些人的烦躁心理呢?在焦躁的空气覆盖下的整个世界,这种感觉正愈演愈烈。
如今rújīn,现今xiànjīn,现时xiànshí,现在xiànzài.
当節流行の文句/现在流行的言词.
当節の若い者はじつに芸達者だ/如今的年青人真会表演.
(1)〔おもて書き〕表面记载biǎomiàn jìzǎi.
表記の金額/表面所记金额.
手紙の表記をきちんと書く/准确无误地写清楚信的封皮.
(2)〔明示する〕标明biāomíng.
価格表記の郵便物/标明价格的邮件;保价邮件.
表記価格/申报价格.
(3)〔書き表す〕(书)写(shū)xiě,记载jìzǎi.
単語の発音を発音表記で示す/单词的发音用音标表示.
表記法/书写法.
(1)〔激しくなる〕越来越厉害yuè lái yuè lìhai.
風が吹き募る/风越刮越大.
離れれば離れるほど恋しさが募る/离开得越远,恋慕liànmù就越强烈.
連絡がとだえ不安が募る/联系中断后越来越担心.
(2)〔募集する〕招zhāo,招募zhāomù,募mù;[たずねて集める]征求zhēngqiú,征集zhēngjí;[広範に]募集mùjí.
寄付を募る/募捐juān.
志願者を募る/招募志愿者.
懸賞文を募る/悬赏征文.
同志を募る/征求志同道合者
.
▼そんな社会から、学び舎(や)だけが例外とはいかないらしい。「子どもの暴力」に手を焼く学校の実情が、文部科学省の調べで浮かび上がった。感情を抑えられずに暴発する子が、こちらも増えている
在这种社会大环境笼罩之下,学校当然也无法置身事外.文部科学省已针对令各大学校棘手的“儿童暴力”事件公布了调查结果。因为无法控制自己的感情而产生暴力倾向的儿童,也正在急剧增加。
▼机を投げる(小学校)、はさみで同級生の背中を刺す(同)、すれ違いざまに肩がぶつかってけんかになる(中学校)……。いらだちというガスに、他人への非寛容が導火線になって火がつくことが多いようだ
其中,发生在小学的有:(学生)扔桌子,用尖刀刺同学的后背。发生在中学的有:故意撞过路人的肩膀找茬打架等等……。这种的焦虑情绪就像煤气,常常因为对他人难以宽容而成为导火线并一触即发。
▼先日の本紙で、歌人の俵万智さんが、電車内で耳にした会話を語っていた。誰かとメールのやり取りでトラブルがあったらしく、「そのときばかりは頭に来て、面と向かって電話したよ」と言っていたそうだ
前几日诗人俵万智曾在本报访谈中提到他在电车内听到的一段对话。其中好像有个人在互发短信时与对方发生了矛盾,其中有这样一句话“与其这样干生气,不如面对面的打电话吧”
1.、面(めん)と向か・う
直接に相手と向かい合う。「上司に―・って進言する」

▼ 電話では「面と向かった」ことにはなるまい。なのにそう思うほど、メールや仮想空間の浸透で、友達同士が話さずに付き合う世界が広がりつつあるのだろう。そうした中で自意識ばかり肥大すれば、寛容はますます失われないか。堪忍袋の緒が細った社会は、子どもにも大人にも生きづらい。
“ 面对面”打电话这种事情通常不可能发生。但是朋友之间那种不言而喻的交流已经超越了我们的想象,完全渗入并在信息和假想空间之中向全世界无限扩大。于是在社会中这种易事如果越多,也就越不会丧失宽容精神,不是吗?其实身处这种处于忍无可忍边缘的社会之中,无论儿童还是大人活